ダイビング、クライミングを嗜むものとして、考えなければならない点、
リスク
ビギナーレベルなので有れば、安全パイを持ったベースの安全策に
身をゆだねるべき、だが….
多くの方策において、完全無欠の方法はなく、リスク対効果 というものが存在するわけで、
この割合には様々なレベルがあり、それは実施しうる者の能力、判断、などにも影響されうるもの。
挑戦するものが先鋭的になればそれだけ、パターンが増えていき、
そこにたどり着くためにはある程度のリスクを考慮し、さらに未知のリスクがある事を前提に臨まなければならないこともあるだろう。
極端に言えば、
リスクを完全に回避したいのであれば、行動しないこと。
何かを得るために、心得なければならないリスクと、回避できるリスクとを明確にする必要はあるように思うが、ある方策で回避できるリスクには限りがある。
残ったリスクをどう見積もるかは、実施者に委ねられるものであると思われる。
例えば、ダイビングで言うならば、
チームベイルアウト
BOVの可否
マニュアルデュレントアディションバルブの有無など。
一方的に否定するグループはいるようだが、果たしてそれが正解なのか?
方策としてあり、実施して効果があるもののリスク自体もなくはない。
環境に応じてはあり、と柔軟に対応策を講じるべきではと思われる。
一方的に手段を削除せず、選択手段を多くし、時と場合には利用する心構えがあってもいいのでは、と思われる。
結果、事故にも見舞われるかもしれないが、それをもって実施者の未熟と単に論じるのはどうだろうか?
先鋭的なチャレンジを行うものは、ある程度の準備をしてもなお、
被害を受けることはあり、思ったようにできなかったなどの現場での
いわれのないトラブルもある。私はそういうのを幾度も経験した。
だから、”絶対安全”という言葉はなかなか言えない。
だからと言って、安全性をおろそかにしているわけではない。
それこそ、真剣に受け止めて実践している、やっていない人にしかわからないところまで
突っ込んで….
どのような方策をとって、どこまで安全をカバーできるのか?何ができないのか?
その等身大を把握して臨むことが重要に思える。
そこを考えられないのであれば、自身の師や一般の安全管理に輪をかけて、
マージンを取って望めばいい。
そこから先は、自己責任なのではないだろうか?
以下、クライミングの分野であるが、感銘を受けた記事である。
このように考えるダイバーは少ないように思えるが、
同様に、ダイビングにも当てはまる部分は多分にあると思う。
—– Facebook ボルダリング研究所 の記事より抜粋 ————–
ボルダリングには様々な”リスク”が存在する。
事故という点で言えば、リードクライミングに比べれば圧倒的に重大な事故に繋がる可能性は少ないが、ある程度の高さから落ちれば可能性は飛躍的に上がる。
今回は怪我や事故という視点からではなく、”課題を登る上でのリスク”について考えていきたい。
それは一体どういうことなのだろうか?
みなさんは課題を登る際に、次の動きに合わせて様々な体勢からムーヴを起こす。
そしてそのムーヴには、様々なリスクというものが含まれていることを考えたことはあるでしょうか?
具体例を挙げて考えてみよう。
次のホールドを取りに行く場合に、以下の条件ではどちらがリスクが高いと言えるだろうか?
足をホールドに置いて、取りに行く場合。
足をホールドから外して、取りに行く場合。
普通に考えると、足を外すよりも置いていたほうが”安定”してバランスが取れていると思うだろう。
そして、ある人は全く”違う発想”で考えるはずだ。
まず上記の条件ではかなり情報が乏しく、一概に判断が出来ないという所にお気付きだろうか。
壁の傾斜、ホールド、ホールド間の距離、クライマーの能力といった、”登る上で必要となる情報”が一切明記されていないのだ。
つまり、例として挙げられた条件下では、どちらの場合も同等のリスクが伴うであろう、というのが正しい答えなのである。
では、どうすれば”リスクを判断”することができるのだろうか?
それは、事前に”必要な情報”を理解しておくことが鍵になる。
必要な情報とは、先ほども述べたような課題に関わるものから、その課題をトライするクライマーに関わるもの全てである。
もちろん人によって必要になる情報や量には差が生じる。
なぜ差が生じるかと言えば、それは”クライマーの能力”に差があるからである。
では、集めた情報は一体どうやって、リスクを判断する上で用いられるのだろうか?
ここでリスクについて、改めて考えていきたい。
私達が生きる上で、何かに挑戦し成功や失敗を繰り返す中で常にリスクを背負いながら、また”コントロール”しながら付き合っている。
リスクとは、”もし失敗してしまったら”、そんな”不足の事態”を避けるために人間なら誰しもが考え、そして如何にそれを最小限にとどめるかということを同時に考えるものだ。
そして、リスクを冒すことは時に”大きな見返り”をもたらす。
リスクは時と場合によっては避けるべきものであり、また進んで冒さなければならないという面を合わせ持つ。
つまり、私達が生きていく上でリスクがなくなる事はなく、リスクとは生命活動の本質といっても過言ではないのだ。
さて、本題に戻るとしよう。
クライマー個々の能力の差によって必要となる情報は異なると述べた通り、その情報を基に判断される”リスクに対する意識”も異なる。
リスクに対する意識とは、A・Bという能力の異なる2人のクライマーがいた時、同じムーヴをするにも2人に加わるリスクは異なるのだ。
簡単に言えば、A氏が得意でB氏が不得意なムーヴを行う場合、当然A氏の方がリスクは少ない。
つまり”一般的”に見ればリスクが高いものであっても、クライマーの能力によってリスクとは”大きく変わってしまう”のである。
これがボルダリングの”最大の醍醐味”である。
一番分かり易い例を挙げるとしよう。
背の低いA氏と、背の高いB氏が同じ課題を2つ登るとする。
両者のクライミング能力は等しいものとする。
1つめはとても狭い課題。
2つめはとても遠い課題。
もうお分かりだと思うが、A氏にとって1つめの課題はB氏に比べ登り易く、B氏にとって2つめの課題はA氏に比べて登り易いのは明確である。
これはクライミング中によく言われる”サイズ感”というものである。
しかし、実際のボルダリングではこうはいかない。
リーチが短い人が遠い課題を好み、背の高い人が狭い課題を好むこともよく見られる。
このように、ボルダリングではリスクからくる”コンプレックス”をバネに、己を磨き上げて本来であれば大きなリスクであることを”チャンス”に変えるケースが多い。
まさにこれこそが、今日までボルダリングが愛されてきた最大の要因であろう。
人それぞれ出来ることは異なるが、自分に合った方法で努力を続けることで成長し、それまでとは違う自分に出会う。
日々新しい自分に出会えるというのは、想像もつかない程の感動を味わえるのだ。
私達はリスクを先に考えるあまりに、リスクが基準になり、他の判断材料を捨ててしまうことがある。
これは”可能性”という言葉とイコールになる。
そのリスクを冒してでも欲しい未来があるのであれば、それは最早リスクではないのかもしれない。
自分にとってリスクとは、時に考え方一つでチャンスに成り得るという事を言っておきたい。
またリスクに対して行う努力というのは、そのリスクが起きなければ”コスト”になってしまうが、起きてからでは遅いリスクというものに対してかけるコストは決してコストではないというのも事実だ。
起きてしまった危機に対しての”危機管理”ではなく、起きる前の”リスクマネージメント”こそが重要である。
如何にリスクと真剣に向き合い、自分にとって何が一番大切なリスクであるかという事を考え行動することが、『リスクマネージメント』であると思う。
故に、ボルダリングを上達する上でこれらの作業を日常的に繰り返すことが求められる。